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特集:おすすめ山行計画

富士山を0合目から登ってみた

2004年5月下旬。
当時の私は登山経験はほとんど無く、運動も週に3回7kmのジョギングをする程度の運動量でした。
もしチャレンジする方は、十分に体力をつけ、時間帯などをご参考にどうぞ!笑 (記録者:Jin)

0合目からの富士登山のきっかけ

ある日、山好きの友人(名前:豆 当時22歳)から「富士山登らない?」とお誘いがきっかけでした。
正直山登りの楽しさなどこれっぽっちも解らなかったのですが、一度くらいは登ってみようかと思い、登山経験者の豆にアドバイスを貰いながら準備を始めました。
30リットルのザックとストックを買い、ジョギングの回数を増やして着々と登山へ向けての準備は進んでいきました。しかしアタック一週間前、豆がとんでもない事を言い出したのです。

「ただ登るだけじゃつまらないから下から登ろうよ!」

…え?下って??? …0合目!?
「嫌だ、五合目から登る」と言う私と豆の言い合いはアタック当日まで続きました。

15時、浅間神社(0合目)からアタック開始

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車の車窓から見える富士山は5月の終わりと言うこともあり八合目くらいまで雪に覆われています。
「雪山の装備持ってないから頂上は厳しそうだね。どうする?」と言う豆と話し合った結果、どちらにしても頂上は踏めないだろうから<0合目>から行けるところまで行こうと言う事になりました。富士吉田に着いた私たちはショッピングセンターの駐車場で準備を整え、浅間神社の下宮の駐車場に車を停め(本当はいけないことだけど)、神社に工程の無事をお祈りして15時に出発しました。

なだらかな舗装道をハイキング気分でのんびり歩き薄曇りながら気持ちよく歩いていました。目の前には今までに見たことも無いくらい巨大な富士山…。本当にあそこに行くのかなと自分の行動が信じられぬまま歩きつづけます。程なくして車道に沿った登山道を見つけ気持ちの良い林の中を進んでいき途中、途中で休憩をはさみながら写真を撮ったりおやつを食べたりと楽しい時間を過ごしていました。

17時30分、一合目到着

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…が、出発して2時間半、少し登りがきつくなってきたなと思っていたときに衝撃の事実が。
<一合目>の標識を見つけてしまったのです。こんなに歩いて一合目…。
愕然とする私に豆は「写真撮るからそこに立って」と至って平気。
頂上までいったい何時間かかるんだよ…。意気消沈する私に対してきつくなった登りを元気に歩く豆、しょうがなく彼の後をついて行きました。

17時30分、二合目到着

すると30分ほどで<二合目>の標識が。
拍子抜けしたまま進んでいくと、またすぐに<三合目>に到着。「何だ、楽勝!」と気は楽になったのですがだんだん辺りは真っ暗に…。
それから<四合目>の標識を越え<五合目>と書いてある山小屋に到着。
そろそろ今夜泊まる所を探そうとまた登り始めてしばらくすると、ふたたび<五合目>の標識が…。
…さっきの小屋の表示は何だったのだろう…?まぎわらしいことこの上ない。
疲れと落胆で怒り心頭も実際進むしか選択肢が無いのでしぶしぶ登り進めました。。。

20時、佐藤小屋到着

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するとどうでしょう!真っ暗な中に人工的な明かりが!そこは「佐藤小屋」という山小屋でした。
時間は20時。
とりあえず中に入ろうと小屋の扉を開けたら10人前後の人たちに一斉に見られました。
本来ならば小屋での休憩は1時間1000円で宿泊は5000円かかるのですが、0合目から登ってきたこと、夜中には出発するということを話すと「お金はいいから入りなさい」と言うご主人の暖かいお言葉。ビールを買い、おにぎりを食べながら談笑しているお客を見渡すと、あれ?外人さんばっかりだ。聞くとヒマラヤやエベレストなどの訓練で、雪のある時期に富士山に登るのだそうな。

そんな人たちが行くところに私なんかが登れるのだろうか…。

午前0時、再出発〜八合目

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小屋のご主人の好意で布団に休ませて貰うことが出来ました。寝る前にベッドにかけておいたTシャツが乾く間もなく、午前0時、佐藤小屋を出発しました。
天気予報とは裏腹に快晴の夜空に煌々と月の明かりが。
少し休んだお陰で体力も若干回復し、元気に登り始めました。

しかし<六合目>を越えたあたりから溶岩剥き出しの道にあえぎ、寝不足と疲れから段々ばててきました。しかし何とか<七合目>を突破。
徐々に豆との距離も開いていきました。何とか追いつこうともがくも耐えがたい睡魔と疲労から思うように歩けません。
ボロボロになりながら登って行くと今までと違う古びた標識に<八合目>の文字が!
気力を取り戻しゆっくりながら確実に歩を進めます。

気力を削ぐ?富士山の標識

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かなりへとへとになったその時、ようやくたどり着いた小屋に衝撃の文字が…。
<本八合>
何?「本」て何??さっきのは何だったの???
こみ上げてくる怒りをかみ殺して休憩。先ほどとは比較にならないくらいの睡魔に少し目を閉じただけで夢を見ていました。多分5分くらい寝ていたのでしょう。目が覚めて朦朧とした意識の中で「登らなきゃ」と、その思いだけで足を進めていきました。何しろ眠い、けど歩かなきゃ、ふわふわとした現実感の無いまま進んでいくと眼前に見慣れた標識が…。

<八.五合>

…何故ここに来て0.5を刻む!?
あまりの落胆にその場に大の字に寝転びもう下りてしまおうかと思いました。すでに前を歩いていた豆の姿は見えず、私はそのままその場で気絶するように寝てしまいました。

自分への悔しさが闘志を燃やす〜ご来光

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30分くらい経ったのでしょうか、目が覚めた私は「こんなにきつい思いをするのなら2度と登らない、だったら今回絶対登ってやる!」とチャレンジの無謀さと自分の不甲斐なさを呪いながら、もはや一歩一歩足を出していくことしか出来ませんでした。5歩歩いては立ち止まって目を閉じ、目を閉じた瞬間から夢を見て、気が付いてまた歩き始め、また立ち止まったら夢を見る。そんなことを繰り返していたら辺りが白々と明るくなってきました。

頂上で見るはずだったご来光を眺めながら本来ならば感動するところだが、そのときの私は「2度と富士山には登らない」これしか頭にありませんでした。体力はとっくに限界を超えもはや気力のみで登っていると、上から豆が降りてきました。

彼曰く、頂上までここから30分くらいで雪はあるが登れなくは無いこと。自分は頂上に到着して降りてきたこと、それと私の状態は限界だからここで引き返した方がいいと言いました。
冗談じゃない!ここで引き返せるものか!
彼の「引き返そう」と言う言葉が私の心に火を着けました。

何が何でも登ってやる!!!

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ザックをその場に置き、身軽になって再び登り始めたら「しょうがない。俺も付き合うよ。」と豆。
少し歩いては立ち止まる私を励ましながら後ろからついてくる豆。
ふと見上げると浅間神社の鳥居が! 
最後の石段を必死に登りきって、やった!頂上に到着出来ました。
しかし途中から出ていたガスに阻まれ下界の視界は利きません。
登頂できた喜びのため先ほどまでの疲れはどこへやら、写真を撮ったり休憩したりしてしばらく喜びをかみしめていました。すると急にあたりのガスが晴れ、視界が戻ってきました。

眼下には山中湖、ずっと向こうには相模湾、とても素晴らしい景色です。
あの時あきらめて降りなくて本当に良かった。豆、ありがとう。

下山、意外にも照りつける太陽

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帰りはブルドーザー道と呼ばれる細かい溶岩が積もった歩きにくい埃っぽい道です。
5月後半とはいえ夜中とは違い照りつける太陽に苦しめられながら何とか<五合目>に到着。
そこからの下山はバスを使いました。車中では乗客が私たちしかいなかったので浅間神社到着までの1時間横になって爆睡しました。

今後の計画

無事に帰ってこれたから良かったものの、私のあの状態で登り進めるのはかなり危険だったと反省しています。もしこれを読んで富士山にチャレンジしようと思われる方、くれぐれも無理は禁物です。自分の体力に合った余裕のある山行を心がけてください。
…その後ですがしばらく私は富士山を見るのも嫌になりました。
今では平気ですが、今度は駿河湾に足を漬けてそこから頂上を目指そうかと計画中です…。

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